「私の子育て」Kくん

長男で一人っ子のKは、予定日より2週間早く、陣痛から約5時間後、2790gで産まれ、直後から上手におっぱいを飲んで元気な赤ちゃんでした。

K2はとにかくおっぱいをよく飲む。

一度おっぱいにかぶりつくと私が引き離そうとしてもまたくらいついてくる。

産まれたばかりだけど自分の爪で顔をかきむしって傷だらけでした。

順調に退院し、1ヶ月、3ヶ月、7ヶ月、10ヶ月、1歳、1歳半、検診時はいつも”異常なし”のスタンプが押されすくすくと育っていると思いました。

一方、私は39歳で初産という高齢出産のせいでしょうか、妊娠してからずっと体調が悪く、出産後もとにかくしんどく感じる事がとても多く、Kを連れて出歩くなどはほとんど出来ませんでした。

この頃はまだ”夜泣き”などほとんどなく、スヤスヤとよく眠るお人形さんのようなK2でした。

よく笑い、よく泣く。ハイハイしたり、おすわりしたり、髪の毛もだいぶはえそろってまた8ヶ月の頃、私の仕事復帰の為、結婚当初より住んでいた主人の実家から東京に親子3人引越ました。

Kは私の母にとてもなついていたので、私は仕事中、母にK2を預け安心して仕事をしていましたから、夜遅くなる事も多く、Kの生活リズムも夜型にさせてしまっていました。

Kの1歳のお祝をした時のこと。

「なかなかしゃべらないねー」「まだ歩かないの?」などとよく言われるようになりましたが、私は検診で”異常無”のスタンプももらっているし・・・くらいの感覚でした。

私達夫婦は土日は仕事は休みでしたが、その頃主人は土日も外出することが多かったので私は仕事の疲れもありK2と一緒に昼寝ばかりして公園や児童館には全く行かず、Kにはお友達がいなく、私にもママ友なるものはありませんでしたが、特別それを気にすることもなく、だらだらと日々を過ごしていました。

Kがつたい歩きをするようになると1歳2ヶ月で1人で歩き始めましたが、なかなか言葉は出ませんでした。

1歳半頃、やっと喃語らしきを発し、2歳すぎてようやく「おかあさん」と初めて言ってくれました。

すべり台の階段を上がった上から「おかあさん!!おかあさん!!おかあさん!!」と3連発。なんだかやっと言えたよ!!というように何度も何度も呼んでくれました。

しかし、Kはなかなかのこわがりですべり台の階段の上にやっと上がったかと思うと怖くてすべれずに、ジャングルジムも1段が精一杯。ブランコには少し乗れたかな・・・。という感じでした。

ベビーカーに乗るのが嫌いで自分でトコトコ歩いたり、タッタッタと走ったり、女の人がとにかく好きで、誰にでも抱きついてしまうおもしろい子でした。

そんな頃、事情により私は仕事を退職し、それを機に今の東雲に引越ました。

引越してすぐ、今まで病気知らずでほとんど熱も出したことのないKが急性胃腸炎になり、私もうつり、次に私がインフルエンザという先が思いやられる新生活のスタートでした。

もうすぐ3歳になろうとするKですが、私は卒乳などまったくせずでしたので、Kも当たり前のようにおっぱいをのんでいました。

だんだんとこの頃から夜泣きがとてもひどくなりました。おっぱいを飲んで寝たと思うと夜中に目覚め、こわい夢でもみたように泣き叫び、1?2時間続きます。K2は電気のスイッチめがけてとび起きて

電気をつけてまた泣き叫ぶ。抱っこもおっぱいも拒否。なんだか触るだけでも怒っているみたい。

主人は仕事でつかれているので幼いKについどなる。私はそれがとても頭にきて、でもグッとガマンしストレスがたまる。夫婦でとても疲れていたように思います。

この夜泣はKの”こだわり”の始まりだったのでしょうか。

それでもそろそろトイレトレーニングくらいは始めたい・・・。なんとか工夫しトイレに誘いおしっこをする。1回だけウンチもできたこともあります。さあどんどんがんばらないと・・・と思った矢先、

ふがいなくも私は病気にかかり、1年近く寝たきりになり、Kの世話も家事も、自分の食事でさえ70過ぎた私の母におんぶに抱っこでした。

その間、私はかわいい盛りとても大事な時期のKの成長を表情を声を思い出すことが出来ません。自分のことで精一杯で我が子に全く愛情をかけず育てていない私がようやく外に出ていけたのは、もうKの公立幼稚園入園前の面談の頃でした。

面談の会場にいくと、どの子もよくぺらぺらと上手にしゃべり、ゲームをしたり、ケンカをしたり1人でトイレに行ったり・・・。Kは?もうおじけづいて帰りたがり泣いてしまいました。

どの子も先生方の指示通り次から次へと課題をクリア。

私から離れようとしないK2を押さえつけ、なんとか健康診断。目も歯も鼻も耳もおなかポンポンも全部に怯え、大騒ぎし終了。

行動観察は・・・全メツ💧 集団遊びをしたり平均台であそんだりKは全部拒否でした。

園長先生との面談では、「Kくんは幼稚園での生活が心配なので、保健所等で発達の相談をうけたらどうですか?」と助言をいただきながら、私は心配なところって・・・?まだオムツってことは言ってないから・・・言葉かしら・・・?などと考えつつ、まだまだ”障害”など言葉も思いつきませんでした。

いよいよKの入園式の日、もうすでに行くのを拒否するKを事務的に着替えさせ用意をし、抱きかかえて幼稚園へ。大泣きしっぱないの晴れの日でした。

まだまだ言い聞かせてもわかってくれないK2を毎日抱えて大泣きさせて幼稚園に置いてくる。

たぶんあの頃のK2は何が何だか、自分でもわからず毎日毎日不安だったと思います。

入園から1ヶ月ほどして保健所の発達相談に通うようになり、CoCoさんを紹介され月1回の相談部に行くことになり、まずKは知能検査を受けました。

結果は明らかに年齢相当でない知的な遅れとわかりましたが、まだ”障害”と結びつけられない私の思考回路・・・。

(Kは経験不足なだけだ。)

Kは幼稚園は登園拒否、集中が出来ない、話の理解力がまだまだ、言葉も少ない、オムツもとれない、夜寝ない、夜泣きがハンパない、電気を消せない、座ってられない、名前も言えない、普通とちょっとちがう・・・。

でもKがこんなにも難しく、幼いのはきっと愛情不足。私が病気になってKがさみしい思いをし、心の病気になってしまったのかも・・・。

インターネットで調べてみたり・・・。

本を読みあさったり・・・。でも家族や友人には相談できませんでした。

これからとりもどせば良いと思っていました。

Kに友達が出来て、色々な交流や経験を通し大きくなるにつれみんなに追いつくと・・・。

幼稚園でだってゆっくりだけど成長してる。上ばきを1人ではく、園服のボタンを自分でとめる。自分のことをがんばってやろうとしてる。もちろん介助の先生あってこその事だとわかっていましたが。

じわじわと感じ始めていました。幼稚園生活が難しいかもと園長先生がおっしゃっていた意味。

うみべのおやこに週1回通えることになりました。年少の7月の終わりでした。おやこはずいぶんと時間の流れがゆったり。先生方もたくさんいる。保護者会では1人ずつ発言する機会がある。色々事情があると思うけれど明るいお母さん達。

まあ当のK2は幼稚園同様、こちらの登室もなかなか大変でしたが。

その後幼稚園では”Kは他のお友達に危険を及ぼさない”という理由で介助の先生はつかなくなっていました。介助の先生あってこそのKの成長でいたから私は見捨てられたような気持ちになり、もう一度介助の先生についてほしいと必死でした。

“障害者手帳”と”障害の診断書”があるといいかもしれないと園長。”障害?”と困惑しながらもやっと私は主人にK2の今までの相談をはじめました。

今さらです。今さら急にそんな話を聞かされた主人はやはりピンとこず・・・。そんな主人を気にしながらも予約した病院に行くと

「診断するとしたら知的障害ですね。自閉症もありそうですね。」と。「CoCoさんの知的検査の結果で明らかでしょ!?」と。

(思い知りました。)

のどがつまったような感じがしてこめかみが痛くて頭がズキズキしました。

私は本当にバカなんです。こんな風にハッキリ言ってもらわないと我が子の障害に気がつけなかったのですから。

結局、診断書があっても手帳があっても介助の先生がつくことはなく、担任も新しく幼稚園の年長になりました。

幼稚園ではもちろん先生方はやさしく接して下さいます。けれど集団生活メインですから、Kがクラスの一員としての活躍は難しく、”お客さん”といった感じか。

昨年の1月から第1おやこのひまわり組になり今では週3日登室です。

幼稚園登園2日、おやこ登室3日どちらも、朝起きてから自分で気持ちを切り替えて家を出るまで2?3時間かかります。ある時はずっと大泣き。あるときは怒りまくる。ある時は部屋にとじこもる・・・。

最近はとくにひどいですね。113cm、20kgのK抱きかかえるというより、引きずってくる毎日です。大変です。クタクタです。

ですが思います。Kがいることで感謝の気持を持つことがとても多くなりました。

ほとんど昼前になって登室するKをこころよく待ってくれるおやこの先生方に感謝。

家に遊びにきてくれるお友達に感謝。

仲良くしてくれるママ達、夫とパパ友になって下さるパパ達。感謝の連続です。

そしてこんなに鈍感で未熟な私を母にしてくれたK2に感謝です。

私もパニック障害という病気を持っている障害者です。まだ治療中で薬をのんで自分をコントロールしています。

Kも大きくなるについれまだまだ色々あるかもしれませんが、お互い様です。

私たちは親子だし家族です。

障害があろうとなかろうとも親子で家族です。

Kのおかげで父になれた夫、母になれた私。Kと一緒にずっと助け合っていきたいと思います。