「私の子育て」Nくん

Nは2015.6.23日に墨東病院で生まれました。

当時、夫の仕事は忙しく、朝早く家を出て夜中にタクシーで帰宅するサイクルを送っており、また近くに頼れる親兄弟や友人もいなかったので、子育てはほぼ私一人で担当することに決まっていました。

ただ泣くことしかできない赤ちゃんと二人きりで部屋に閉じこもる生活を続けていては、もしかしたら自分が潰れてしまうかもしれない。助けを得られない中そんな状態なるのは危険だから絶対に避けなければと思いました。

ですので、まず『できればすんなり寝て欲しい』や『泣かないで欲しい』などの希望や理想などを持たない、育児ブログなどを読んでも他人の状況と比較しない、ということを心がけようと考えました。

理想や期待を持ってしまうと、もしその理想とかけ離れた状態になった場合に強いストレスを感じてしまう恐れがあると思ったからです。

子供は泣くのが仕事だし、オムツ変えてミルク飲ませて抱っこしてそれでも寝なければ『ああ寝たくないのね。まあそんな時もあるよね』と、状況をそのまま受け入れる様にこころがけました。

育児以外の家事に関しては、夫と話し合いをし、今は育児に専念する為にも家事は最低限に、食事はしばらくは各自適当にすます事にしました。

夫の理解もあり、出来るだけ負荷をかけないように努めたおかげで、乳児期は特につらい思い出はなく、順調に過ぎて行った記憶があります。

一ヶ月検診も問題なく終わり、三ヶ月検診の日、『首の座りが弱い気がするので、来月も検診に来てください』と言われました。

この健診の数日後に、子供に風邪の症状が出たので行った小児科で、首の座りが弱いと言われたことを相談すると、『そんな感じには見えないけどねー』と言われたので安心したのですが、一ヶ月後の検診でも『全体的に弱い気がする』と言われまた一ヶ月後に保健所の検診を受ける様に言われ、そしてまた次に行くと今度は力が全体的に弱い、と、行くたびになにかかにかの問題を指摘され、定期検診とは別に、月に一回毎月保健所の発達相談に通う事になってしまいました。

子供の成長にも個体差があるのだろうけれど、もしかしてこの子には何があるかも知れない。というか、何かがあると思って行動したほうがいいだろうと考えました。

今のところ体も丈夫だし、妊娠時も胎児の問題は指摘されていなかった。

だとしたら、いま私のわかる範囲で一番に思い当たるのはいわゆる発達障害というやつではないだろうか、と考え、発達障害のことを調べて、対応策をかんがえようと思いました。勿論わたしは医療や子育てに関しては素人ですので、素人の決めつけや思いこみは危険だとも思いましたが、対応策を知ること、備えることは通常の育児にも役立つだろうと考えました。

また、一歳近くになっても人見知りや場所見知りせず、いつもニコニコ笑いながら、保健所の部屋のおもちゃで遊ばずに部屋の隅から突き当たりまでを行ったり来たりするだけの子を見てある程度の確信も持っていたこともありました。

そして新たに、自分は子供を愛情を持って育てる親であり、客観的に、多角的に状況を判断する観察者であろう、子供かわいさに目を曇らせず、他と比較をし過ぎないで、より冷静に状況を判断できる様にならなくてはと考えました。

また、この先いろいろな不安や心配事が出て悩むことが増えるだろう。助けもない中悩みを抱え過ぎて前に進めなくなってしまわない様、問題はシンプル化して優先順位をつけて考える様にしなくてはと思いました。

例えば、子供の食が細くなって食べ物に興味を無くし始めたという状況になった時、『食べて欲しいから味付けを変える』のか、『食べなくてもしなない。濃味を覚えてさせない』のか。その『食べて』と『薄味』の二人が崖から落ちそうになっていた場合、どちらを助けるのか、そんな感じで問題をシンプルに考え悩み過ぎない様に努めようと思いました。

そしてそろそろ夫にも相談しなければいけないかな、

ただ、現状まだ診断も下りていないただの憶測の域を出ない考えを聞かせられても困るだろうなと思ったので、とりあえずやんわりと『発達が全体的に遅いみたい。まだ小さいし大きな問題はないと思うけど、もしかしたら病院で診てもらったほうがいいかもね』とかるくジャブを打つ程度に伝えました。

このあたりから、徐々に対策を実行し始めました。沢山ある発達障害の問題行動の中でも、偏食がでるととてもしんどいな、と思いました。

どうして偏食がおこるのか、その理由にはいろいろな可能性がありますが、とりあえず、料理やその中に入っている未知の食材に対しての不安もあるのでは、だとしたらまずその辺りから崩していこうと思い、野菜などの食材を買ったら、とりあえず子供に渡し、調理開始まで遊ばせてみて、食材に慣れさせることから始めてみました。

そして『今日はこれでNちゃんのご飯を作ります』と説明して、調理の過程を見せたりしながらあなたが遊んでいた食材がこんなご飯になったよ、とテンション上げ気味に食卓に乗せてみたりしました。そしてもし食べなかったとしても、あまり無理に食べさせたり叱ったりして食事の時間が嫌いにならない様に配慮しました。また、自分で食べたそうにした場合は周囲が汚れるのを覚悟で好きな様に食べさせていました。また、これはたまたまですが、スプーンでお皿を叩く遊びを覚えてしまい、その音がかなり耳障りだったので、これなら食器に叩きつけても音が鳴りにくいであろうと、スプーンの代わりにセロリのスティックを持たせたところ、これがうちの場合には大当たりで、セロリのえぐみに最初はびっくりしていましたが、それも次第に慣れてきた様で普通にガブガブと噛む様になりました。セロリの繊維は硬いので、万が一折れたとしてもセロリの繊維がしっかりと欠片にくっついて離れないので、きゅうりやにんじんスティックよりも安心して与えられると思いました。ただ誤飲や誤嚥の可能性がないわけではないので、食事のときだけ与える様にしていました。セロリのえぐみを経験したおかげか、子供は好き嫌いなく、食にも好奇心旺盛で育ってくれました。ただ単にもともと食いしん坊だったのかもしれませんが。

そして、もしかしたらコミュニケーションが苦手な子かも知れない可能性を考えて、出来るだけ会話をする様に心がけました。絵本を読んだ時に合いの手や感想を聞いてみたり、お散歩時でも『今日は天気がいいね。これは黄色いお花。きれいだね、かわいいね、楽しいね。あたたかいね、さむいね。Nはどう思う?』等声をかけながら反応をまったりしていました。これは子供の接し方として別段特別なことをしているわけではないですし、月齢的にも反応などなくて当然なのですが、『私のしている事に意味はあるんだろうか』と不安に感じながらもできるだけ目線を合わせて丁寧に声掛けを続ける様に頑張りました。

一才二ヶ月を過ぎた頃。

この頃のNは、オモチャを一列に並べつづけるなどの独特な遊びに夢中で、私が手を出しても知らんぷり、1人でもくもくと遊んでいました。そんな姿を見て『この子の心の中にある世界には、自分以外の人間が住んでいないのではないだろうか?』

と不安を感じたのを覚えています。

またもう一つ、悩みがありました。

その頃の子はつかまり立ちも不安定で一向に歩き始めるそぶりが見えませんでした。

かかりつけの小児科の先生は、『大丈夫。この子はスロースターターなだけ。一歳四ヶ月ごろにはみんな歩いているから心配しなくてもいいよ』と励ましてくれましたが、

その一歳四ヶ月に突入しても歩く様子を見せない子に、先生も不安そうな表情を浮かべていました。子供の成長を他とは比べない様にと考えていた私ですが、先生が唸っているのを見て、一歳四ヶ月までにとはあくまで先生の中での目安でしかないと理解しながらも、不安で心がざわつきました。

一歳四ヶ月も終わり近くになり、歩かない子供のためにそろそろ病院に行ったほうがいいのかもと考え始めた頃、ミニカーで遊んでいた子供が急につかまり立ちを始めたので、転倒しない様にと慌てて支えに近寄ると、なぜか怒り出し、近寄るな、もっと離れてというしぐさをしました。

とりあえず子供の言う通り後ろに下がって見ていると、子はプルプルしながらつかまり立ちをし、テーブルから手を離しては尻餅をつき、私が駆け寄ると『離れて見ていて』と威嚇し、またつかまり立ちをして…というのを、この日は20分ほどくり返していました。

次の日もまた急に立ち始め、手を出そうとすると怒られる為、少し離れたところで見守っていると、手を離した後、すごくプルプルしながら私の方へ3歩ほど歩いてきました。すぐに尻餅をついてしまいましたが、歩きながら私の顔を見て『みてみて、すごいでしょ』と言いたげなドヤ顔に、この短期間で、彼の中にどんな変化があったんだろう? というか、明らかに私が驚き喜ぶことを期待していた。ということは、彼の心の世界には少なくとも私と言う他人がいる、だったら他の人だって心の中に住む余地があると言うことではないだろうか?

なぜか自主的に歩く練習を始め、そして歩ける様になる日が近いであろう事、そして他人を認識しまた自分の行動によってその反応を伺おうとする気持ちがあると言うことを知れて、とても嬉しく思いました。

そして何がトリガーになったのかわかりませんが、この頃から急に、人見知りや、出社するパパに泣いてすがるなど、ニコニコ以外の感情を見せる様になってきました。

同じ頃、月一で通っていた発達相談の保健師さんより、『発達に問題を抱えた子供が通う療育の場があります』と、親子教室を紹介していただき、すぐに見学希望を申し込みました。

知らない場所、知らない子供たちと大人たちに怯えないだろうがと少し心配しましたが、子はとても楽しそうに教室のおもちゃで遊び始めました。見学日はちょうどりんご組の日で、同じくらいの子どもたちがお母さんたちとのんびり穏やかに過ごしているのをみて、良い雰囲気のところだな。ここに通えたら嬉しいな。と思いました。通室希望を出して二ヶ月後に通室可能との連絡をいただきました。

Nは親子教室がすぐに大好きになりました。

玩具やいろんなものに興味を持ち、お遊戯的なこともすんなり参加できました。次第に先生だけではなく他のお母さん方に甘え始めたので、他の子の療育の邪魔になってはいけないと、適度にガードしつつも私自身も楽しく過ごしていました。

最初は大人にしか興味を持つことがなかったNでしたか、次第に他の子供にも興味を持つようにもなりました。

ほかのおかあさんから扇橋ココを、先生から東部療育センターを紹介していただき、並行して通う様になりました。

療育生活を始める事になったので、本格的に夫に相談する事にしました。

夫には、『子供の発達が、心体ともに全体的に遅れているので、それを促す為に療育を通う事にしました。あなたは仕事が大変だからそちらに専念してください。子供の療育は私に任せて』という様な感じで伝えました。

この時の夫は、発達障害?なにそれ、大袈裟。ただ成長がゆっくりなだけなのでは?と思っていた様です。この時点では夫はその認識で良いと私も思っていました。

りんご組を楽しく過ごし、ぶどう組で始まった母子分離も、親の心配もよそに、いや、ある意味心配になるくらいあっさりと成功し、特に大きなトラブルもなく、優しい先生方や大好きなお友達に囲まれて、Nは親子教室と人が大好きな明るく元気すぎるくらい元気に育っていました。

あまりにも順調過ぎて『もしかして夫の言う通り、発達障害だなんてただの私の考えすぎだったのでは』だなんて思い始めてしまったくらいに、ほんとうに素直に順調にすくすくと育っていました。

Nが3歳になってすぐに、東部療育センターで発達障害の診断の為のテストを受けました。

診断書には『自閉症スペクトラム障害』と書かれていました。想定の範囲内だったな、とその時はただそう思いました。夫は、心構えはできていたとはいえ、やはり少しショックだった様子でした。

次の登室日に先生に診断結果を報告しました。『やっぱり病名つきました』と。

その時、直前まで普通だったのに、なぜか急に涙がこぼれてきてびっくりしました。あれ?自分どうしちゃったんだろう、と。

ただそれと同時に、『ああ、あれだけ、この子は何かを持っている子だから今のうちに対策とっておこうとかいいながら、心の奥ではそれが杞憂であることを願っていたんだなわたしは。覚悟していた気になっていただけなんだな。そんな甘えた人間だったんだな。』と自分が恥ずかしくなりました。

人前で涙してしまった恥ずかしさと、先生を困らせてはいけないと思い、『あ、でも診断が下りたからといって生活まで変わるわけではないですし』と、とにかく場を取り繕わなきゃと思いなんとなく出てきた言葉だったのですが、その、今口から出てきた自分の言葉にはっとしました。

『たしかに、今言った様に、病名ついたからと言ってうちの子の生活が変わるわけじゃない。今後も子供の成長に合わせて見守っていく事には変わりなくて、しかもそれは極端なこと言ってしまえば、障害を持っているかいないかなど関係なく、子供の成長に合わせて見守っていくと言うのは結局全ての親の務めだよね』『というか、これかなりの名言じゃない?』的なことを考えていました。

帰宅し、仕事から帰ってきた夫と今後の話をしました。

『療育はこれまで通り私が担当するので、安心して仕事に専念してください。ただ、サラッとでもいいので発達障害がどう言うものかはネットで検索して読んでおいてください』

『私達の親世代にも発達障害の事を一応説明しておくけれど、理解は得られないと考えておいた方がいいと思う。療育はさっき言った通り私が責任を持って進めるから心配しないでほしい。けど、何かあったら相談するし、頼るのはあなたしかいないのでそれだけは心に留めておいてほしい』と伝えました。

夫も夫なりに発達障害に向き合うことを決めた様でした。特に意見が分かれることはなく、『子供のためにできるだけのことをしよう』という方針で動く事になりました。

発達障害というものがどう言うものか、いまいち想像しづらいだろうなと思い、夫には可能な限り通院や親子教室などのイベントに出てもらう様にして、N以外の他の子供と接する機会を作ってもらいました。自分の子供以外の子と接する事で、夫の視野も広がってくれたらいいな、と願いました。

子供の入園については悩みました。

三年保育にするか、または念のためもう一年療育に専念して二年保育にするのかと。

色んな方々に相談してアドバイスをいただき、それぞれのメリットデメリットを検討して、Nの場合は二年保育、年中より幼稚園に通わせる事にしました。

一年後、年中より江戸川区にある小松川めぐみ幼稚園に入園しました。

この幼稚園に決めた理由ですが、『親子教室に通っている子が入園しており、理解があること。受け入れの実績がある事』と、実際に見学をして雰囲気が良かったので、ここならこどもを安心して預けられると考えました。

実際に入園してみて、相談にもちゃんと乗ってくださるし、Nのことをよく見て理解していただけたので、ここに入園できて本当によかったです。

幼稚園に入園し、親子は月曜日のいちご組に通う事になりました。イベントなどの理由お休みすることも多くなってしまいましたが、Nは幼稚園も親子教室もとても楽しく通っていました。この頃から毎日就寝前に『今日は何か楽しいことはあった? 嫌なことはあった?』と毎日の出来事を聞く様になりました。これは、一日の出来事を思い出して文章に組み立てて話せる様にの訓練と、自分がその時どう思ったのか等、自分の感情を説明できる様になる訓練を兼ねていました。

しばらくして、幼稚園大好きなNが『誰々君が叩くから怖い。幼稚園に行きたくない』と泣きながら登園拒否を訴えてきたことがありました。幼稚園大好きっ子のこの子が泣いて行きたくないと訴えている。何があったんだろう。言葉通り受け取るなら、乱暴してくる子供がいる様子。しかしNは人が好き過ぎて距離感が掴めないタイプだから、もしかしたらNがしつこくし過ぎて反撃を喰らっただけなのではないだろうか。

とりあえず先生には『誰々君が怖いと言って泣いています。とりあえず落ち着かせるために休ませます。』と連絡して園を休ませ、家で遊びながら園での様子を聞いたりしていました。

午後に園から連絡があり、話を聞いたところ、どうやら相手の子はNと同じく、他人との距離感が掴めなく、尚且つ楽しくなるとつい相手を叩いてしまうタイプの子であった様子。

その子のお母さんも苦労してそうだなーと勝手に親近感をおぼえつつ、Nには『怖いことに出会って、やめてと言っても相手がやめてくれない場合は先生とか周りの大人に助けてー!て言って助けてもらいなさい。大人がいなかったら逃げちゃいなさい。』と言う様なことを伝えました。

いえば助けてもらえると言う事に安心したのか、次の日から元気よく通える様になりました。

別の日には、『怖い夢を見るから寝たくない』と言って寝ることを怖がる様になりました。

最初はお化けの夢でも見たのかな?と思っていましたが、この状態が数日続いたのでこれは何かあるかも、と話を聞いてみると、どうやらお友達から仲間はずれにされて一人ぼっちになる夢を見たらしく、それがすごく怖くて心細かったとのことでした。多分似た様な状況が園の中で起こったのではないかと思います。ただ別の視点で考えると、Nは距離感がなくコミュニケーションが一方的な為、それによってお友達を怒らせたのではないか、それによって仲間はずれにされた経験が夢に出てきたのではないかと思いました。

Nには、みなNが大好きだよ。怖い夢を見るのが怖くて寝たくないなら、楽しい夢を見る様にすればいいんじゃない?とりあえず、きょうはどんな楽しい夢を見る事にする? と、今日見る予定の楽しい夢の話をして、寝ることへの不安を上書きする事にしました。この作戦はうまく行き、今でも寝る前に『ねえねえ今日はどんな夢を見る?』とワクワクしながら夢の設定を考えています。

この二つの出来事から、『いまはまだ細かくフォローできるけど、小学校に上がれば大人の目の届かない部分も多くなる。フォローしきれないことも出てくるかもしれない。この子自身が問題と向き合って乗り越えられる様にならないといけない時がくるのだろう。いまは対処方法を学べるだけの強さはまだ身についていない。フォローが届くうちになんとかしてやりたい』と強く思いました。まずは、就学と共に終了してしまう療育機関に代わる、放課後デイサービスの確保と学校内での理解者を得るためにも通級は行かせたいと思いました。夫も同じ考えだったので、すぐにデイと就学相談の申し込みをし、診断書や親子教室でもらう計画書などを全て集めて就学相談用の資料を作り、面談では一次二次とも夫婦揃って出席し、夫には『いかにこの子が通級を必要としているか。親がどんなにそれを望んでいるか』を切々と説いてもらいました。その甲斐あってか、無事に通級に通えることが決定しました。

りんご組みから始まって、ぶどう、ひまわり、そしていちご組を2回、約5年間も親子にお世話になりました。

お母さん方や先生方の優しさに包まれて育ち、同年代や自分より小さい子に興味を持てなかったNでしたが、今では年下の子の手を引っ張ってお兄ちゃん風を吹かしています。

他人を思いやる心以外にも、母子共にたくさんのことを学ばせていただきました。

私一人ではここまで健やかに育てることはできなかったかもしれません。

Nは4月から小学生になります。

まだまだ甘えっ子で、お友達は好きだけどコミュニケーション方法が一方的で、すぐにテンションが上がり人の話が聞けなくなりがち等、心配事はつきませんが、これからも色んな方々の手をかりながら成長を見守っていきたいと思います。

皆様、長い間お世話になりました。

本当にありがとうございました。