Sは平成23年6月30日に生まれました。
まだ6月だというのにとても暑い日でした。
体重は3110gでとても健康体で生まれてきました。
3か月で首がすわり、5か月でお座りができ、離乳食もモリモリと食べ、とても順調に育っていました。
ただ、ミルクもよく飲み離乳食もしっかり食べていたせいか、同じ月齢の子より一回り大きく体重も重くてぽっちゃり体型でした。
その体型のせいなのかいつまでたってもハイハイをせず、つかまり立ちもせず、10カ月過ぎた頃から、”うちの子は遅れているのかな。”と思うようになりました。
この頃はよく児童館やみずべなど、赤ちゃんを遊ばせられる場所を利用していたので、他の赤ちゃんがハイハイで活発に動き回ったり、おもちゃで嬉しそうに遊んでいたり、早い子は歩いていたりと、他の子の成長の早さにビックリしていました。
“Sはあまり動かないな。” “表情が乏しいかな。” となにか胸に引っかかるものがありました。1歳を過ぎてもハイハイもつかまり立ちもせず、どっしりと座り込んであまり動かない子でした。
1歳2か月でやっとつかまり立ち、1歳3か月で歩いたときは「この子はスローペースなだけなんだ。」ととてもほっとしました。
しかし今度はいつまでたってもおしゃべりをしないことを不安に感じました。
「うちの子はゆっくりだからかな。」と思ってみたり、「男の子は言葉が遅い。」とよく周りから言われていたので、そんなものかな、と思い日々過ごしていました。
私もSが第一子ということもあり普通の子の基準がよく分からなかったので、のんびりと言葉が出るのを待っていました。
そして2歳になった時、2歳児健診へ行き、質問項目に初めて”いいえ”がつきました。
・積み木などを並べて電車等に見立てて遊びますか?→いいえ
・テレビや大人の身振りをまねしますか?→いいえ
・2語文を話しますか?→いいえ
その他指差しをしないことなどを指摘され、保健所から”言葉の教室”へ通ってみないかと誘われました。”言葉の教室”は週1回、同じような子ども達と親とでリズム遊びなどを通して言葉の発達を促す、というようなものでした。
とりあえず通ってみたもののSは他の子とあまりにも違いました。
他の子が楽しそうに取り組んでいるのに対し、入口から激しく泣いて抵抗し、引きずるように中へ入ってもずっと泣きっぱなし。
部屋の隅で泣きわめくSを抱っこしながら終わる時間をただただ待つ、というツライ時間でした。
“これで言葉が出るとは思えない。” “合ってないのかな。”と思ってた矢先、保育園と仕事先が決まったのでここは辞めました。
保育園に入ればたくさんの人に話しかけられて言葉がでるかもしれない、と期待していました。
半面、いつも私にベッタリなSが母子分離できるのか不安でもありました。
結局、変化に弱いSは毎日泣いてばっかりで慣れるのに3か月もかかりました。
1歳の時は好き嫌いなくなんでも食べていたのにこの頃から偏食になり、給食も「今日は何も食べれませんでした。」と言われる日も多々ありました。
そして私が首をかしげる行動も多くなってきました。
クルクル回る、唾を口の中にためて遊ぶ、決まった道順にこだわる、数え上げたらキリがないほどです。
そんな行動をみて、”うちの子は普通の子ではない”と思い夜な夜なネットで調べていました。
そして”自閉症”という障害に行き当たりました。
でもまだ受け入れられない気持ちもあり、この行動は当てはまるけどこの行動はやらないから自閉症ではないかもしれない、といつも気持ちは揺れていました。
2歳6か月の頃、これまでで一番奇妙な行動をとりました。
1日中ずっと目を閉じて過ごす、というものでした。
もちろん朝は起きますが、目を瞑ったまま起き、そのまま目の見えない人のように手探りで移動していき食事も手づかみで、匂いをかいだり手触りで食べ物を判断している様でした。
主人は目の病気かなにかではないか、と言いましたが私は「この子は自分の意思でやっている。」と直感していました。
目を無理やり開けようとしてもものすごい力で拒否します。暗闇の世界をとことん楽しんでいる様でした。
こんな奇妙な行動ばかりするSを理解できず、なんでこんな変なことばかりするのだろう…と哀しく情けない思いでした。
暗闇の世界のSが唯一目を開けるときは大好きな乗り物に乗る時でした。
ちょうど帰省で新幹線に乗ったのですが、発車ベルの音と同時に目をパッチリ開けて外の景色を楽しんでいました。
私の実家でも車に乗れば目を開ける、という具合なので目を開けて欲しい一心でなるべく車に乗せていました。
こんなSの行動を見て私の中では”この子はたぶん、自閉症だな”と確信しつつありました。主人の中でもそうでした。
帰省中に母の運転する車に乗りながら、「Sは自閉症だと思う。」と告白しました。
母は、「私も、そう思う。」と言いました。
母は昔保育士をしており、たくさんの子ども達を見てきた人でした。
その母がそう思うのなら確実だろうな、と思いました。
気付きながらも今まで私たち夫婦に言わなかったのは、自分たちで気付かなければ到底受け入れられるものではない、という配慮からでした。
その後も保育園の先生に「発達専門外来に行かれたらどうか。」という話もあり、近所で評判のよいクリニックを紹介してもらいました。その頃下の子を妊娠中で、臨月の大きなお腹を抱えながら急いでクリニックを受診しました。
そのクリニックの先生はとてもいい先生で、2時間じっくりとSの行動や私たち夫婦の話を聞いてくださり、「自閉症でしょう。」と言いました。
ほっとしたのと悲しいのとで、とても複雑な気持ちでした。
でもなぜか気分は落ち込んでおらず、「よかったね、自閉症って分かって。」とSの手を繋ぎながら夫婦で楽しく帰ったのを覚えています。
それから下の子を出産するまで自閉症についてさらに詳しく調べたり、愛の手帳を取得したりと忙しく過ごしました。
出産してからは赤ちゃんの世話に、Sの偏食、パニック、自傷、こだわりなど自閉症特有の問題行動の対処に日々追われていました。
保育園を辞め、親子教室に移りCoCoも併せてたくさんの方にSを見てもらい、問題行動に一緒になって対応してもらったことを本当に感謝しています。
Sが自閉症と分かり、こだわり、パニックより言葉が出ないことが私にとって一番の心配事でした。
一生でないのならどうやってコミュニケーションをとったらいいのか分かりませんでした。言いたくても言えない状況が自傷やパニックにつながっているのでなんとかしてあげたいなと思いました。
そもそもSは外の世界にあまり関心を示さず、こちらの言っていることさえ分かっているかどうか怪しかったので、まずは”物の名前”を教えることにしました。
日常生活でよく目にするもの(例えばテレビ、車、えんぴつ、食べ物など)を片っ端から写真に撮っていき、その中から2枚の写真を並べ
「バナナはどっち?」「りんごはどっち?」と聞いて正解の写真を取らせていきました。
撮った写真は1000枚以上。
本当に日常のありとあらゆる物の名前をコツコツと教えていきました。
Sは最初はまったく手が動かず、何を言われているのか分かっていない状態でした。
やはり”物に名前があること”に対して無関心で知ろうともしませんでした。
めげずに繰り返し続けてみると、そのうち不正解の時もありますが写真を選ぶようになり、正解するようになり、と彼なりにステップアップしていきました。
このおかげでずいぶん物の名前を覚え、指示が通りやすくなりました。本人も言われてることが分かるという自信につながったと思います。
次は人のしぐさのマネを教えました。
人に対する関心が薄く、人のマネを全然しないSにこれを教えるのは大変でした。
私が手をあげたらSにも同じ動作をさせる。
鼻をつまんだら鼻をつまんでもらう。
真似させることで“他者”の動きを意識させることをコツコツと続けていきました。
Sが私のマネをしてお手てパチパチができたときは感動でした。
普通の子ならいともたやすくできることですが、Sにとってはとても難しく、できた時は大きな壁を一つ乗り越えた気分でした。
これができるようになったら次は声のマネをやりました。
声はさらにさらに大変でした。形がないもの、目に見えないものを真似させることは非常に難しく、私が「あ」と言ってもSから「あ」と返ってくることはなく、口の形だけを真似していました。
「声だよ、声。声をマネするんだよ。」と何度も伝えましたがピンときてない様子でした。
何回も何日も続けましたが、口の形はマネするものの音がついてきません。
そのうち煮詰まって私が「う~ん…」と言ったとき、Sが「う」と言ったので「声のマネできたっ!!」ととても大げさに褒めました。
Sが「う」と言ったのは偶然でしたが、”同じ音を出す”ということに気付いてもらえました。
気付いても言えるかどうかはまた別の問題でしたが、50音を1音ずつ練習していき、
「あ」→「あ」 「い」→「い」 「う」→「う」
とまるで劇団員の発声練習のようでした。
1音が上達したら「いぬ」「かさ」などの2音の練習。
1音ずつなら言えるのに2音になると「いぬ」が「いう」になって音が崩れてしまうことも多く、音を続けて出すということも難しいのだなと感じました。
それも日々の練習を積み重ね、クリアな発音とまではいきませんがそれなりに聞こえるようになりました。
そして「あけて」、「ちょうだい」など実用的でSにとってもメリットのある言葉へとつなげていきました。
そんな親子マンツーマンの特訓のおかげか、自発的な言葉は4歳半頃からポツリポツリと増えだし、今もまだ2語文ですが自分の意思表示や感情の共有もできるようになりました。電車が好きで、電車の名前をたくさん言えるようになりました。
現在6歳になり、だいぶ自傷やパニックが落ち着いてきたこともあり、少しずつ下の子にもかまってあげる余裕が出てきました。
“私の子育て体験記”のお話を頂いた時は、そんなに大した話もないな、と思っていましたが書き始めるとあれもこれもとたくさんエピソードが出てきて止まりませんでした。
Sのできるようになったことや困った出来事が次から次へと溢れ出て、改めてSととても濃い時間を過ごしてきたんだな、と感じました。
4月からは小学生です。
Sは城東特別支援学校へ行くことになりました。
そこでまた大きく成長していくのだろうと思います。
昔は”この子は何もできない。”と悩んだこともありますが、そういう思いは今後しないのだろうと思います。
Sを育ててみて”人それぞれ”という言葉がとてもしっくりきているからです。
この子が大人になるまでどんな成長をするのか、今はとても楽しみにしています。