「私の子育て」Y2くん

いちご組Y2の母です。

本日は、自閉スペクトラム症と診断されている息子との6年間についてお話しさせていただきます。

お聞き苦しい点もあるかと思いますが、よろしくお願いいたします。

Y2は2012年5月、ちょうど東京スカイツリーの開業を翌週に控え世の中がにぎわっている中、予定日より5日遅れで生まれてきました。私達夫婦にとって待望の赤ちゃんでした。

ここで妊娠前に少し話が戻るのですが、私は結婚したのが30代半ばと遅く、年齢的なこともありなかなか子供が授からず、不妊専門医院に通っていました。その病院はいつも混んでいて、当時の私は「世の中には子供がほしくて通院している人がこんなにたくさんいるのか」と衝撃を受けた記憶があります。そして「もし私に子供ができたら絶対に大切に育てなければ」と思いました。その気持ちがこれまでの子育てで辛いことがあった時にも、原点になっているように思います。

幸い私は数か月の通院の後に妊娠することができました。

それでも妊娠したのはすでに37歳。高齢の初産ということと、私自身の弟がダウン症ということで、出生前診断をするべきかとても迷いました。主人とも話し合いせっかく授かった命なので何があっても受け止める覚悟で検査は受けないことにしました。そして、その後の妊娠中は特に問題なく順調に過ぎ、Y2は元気に生まれてきてくれました。

1歳を過ぎるまでは、特に大きな問題もなく、いわゆる育児書通りに順調に成長しました。

卵と乳製品の食物アレルギーがあったので、食事には気を使いましたが、好き嫌いもほとんどなく、よく食べよく寝て、よく1人でも遊ぶ子でした。今振り返るとあまり後追いや人見知りをしなかったように思いますが、初めての育児だったので私もよくわからず、こんなものなのかなと思いながら過ごしていました。

なんとなく違和感を感じ始めたのは、1歳を過ぎてからです。

私は近所に知り合いが全くいなく、お友達を作りたい思いもあり、区のスポーツセンターなどの親子体操やプールなど、いろいろと通っていました。同じくらいの月例の子が集まる中、みんなはバイバイなど真似っこをしたり、指さしをしたり、言葉も少しずつ出てきているのに、Y2はなかなか指さしもせず、意味のある言葉も出ていませんでした。

周囲からは「男の子は言葉が遅いから心配しなくても大丈夫だよ」と言われたものの、なんとなく自分の中で違和感が芽生え始めました。他の子はみんなであんぱんまん体操などを先生のマネをして踊っているのに、Y2はみんなと同じことをやらずに1人で違う遊びを始める・・。部屋の中で1人クルクル回る・・。初めての場所に行くと抱っこ抱っこと泣いて歩かないなど、みんなと違うなと思う事が増えていきました。

1歳半健診を前にして、保健相談所で開催された「育児学級」に参加した時に、「言葉が出ていない」と相談したところ、すぐに保健相談所の「ことばの相談」の受診をすすめられました。

ことばの相談には何回か通い心理士さんからアドバイスをいただきながら生活していたものの、その頃の私は、周りの子とY2を比べては不安になり、ネットでいろいろと検索し「もしかしたら自閉症なのかも・・」とまた不安になるという毎日を過ごしていました。

みんなが集まるところへ連れていくのが辛くなってきた時期でもありました。

Y2が2歳となり、言葉は少しずつ出てきたものの気になる行動もあることから、保健相談所から親子教室を紹介されました。

最初に「この施設です」と保健師さんから渡された紙には「障害児通所支援施設」と書いてありました。

私は思わず「あの・・この子は障害があるということでしょうか」と聞いてしまいました。

保健師さんは「保健所ではそのような診断はできません。この施設は障害の有無ではなく、発達が気になる子が遊べる場所ですよ」とおっしゃいました。

私はまだ診断されたわけでもないのに「やっぱりこの子は障害あるんだ・・」と思い込み、とてもショックを受けました。おそらくあの日がこれまでの子育て人生で一番落ち込んだ日だと思います。その帰り道、信号待ちをしていた目の前の親子の何気ない会話を聞きながら、大げさですが「私にはあんな普通の日はこないのかもしれない」と思った記憶があります。

私自身の弟がダウン症ということもあり、障害に関しては何の偏見もないつもりでした。

それでもやはり自分の子供に障害があるかもしれないと思うととてもショックで、そのように思う自分自身も嫌で仕方がありませんでした。

親子教室に行ったら障害を認めてしまうことになるのではないか・・と迷いもありました。

私の母は、弟がダウン症なのでこれまでも障害のある方と接する機会もあったため、Y2が自閉症かもしれないと相談しました。

母は「もし仮にそうだったとしてもY2はY2だし何も変わらないよ。Y2のおかげでいろいろな経験ができるし、こんなに元気に生活できているのだから感謝しないとね。その施設に行ってみたら?」というようなことを言いました。私はなんだかモヤモヤした気持ちでした。

でも今思えば、母も私の不安な気持ちや早期療育の大切さなどいろいろなことを理解した上で、そのようなことを言ったのだと思います。ある意味Y2のおかげで、母も同じように過去に辛い思いを乗り越えていたのだと知ることとなり、母の偉大さを改めて感じることにもなりました。

保健師さんからの「通うのも通わないのもお母さんの自由です。でもきっと小学校にあがる時にその差がわかると思いますよ。」という言葉にも後押しされ、私は親子教室に見学に行くことにしました。

うみべのうさぎグループを紹介していただきました。そこで当時うみべの施設長をしていらっしゃった青柳先生とお会いしました。先生の優しい笑顔に私自身がなんだかとても癒され、教室の温かい雰囲気に安心し通うことに決めました。

あれから約4年半。親子教室は私達親子にとってなくてはならない場所となりました。

親子教室に通い始めた頃は、場所見知りもあり、慣れるまでは近くの仙南公園に行くまでも歩かず抱っこの日々。公園では遊具で遊ばずフェンスや壁に沿って横目で行ったり来たり走るだけ。室内遊びも粘土や、広告ちぎり、トンネルくぐりは苦手。いわゆる自閉症の子に多い特徴的な行動は気になりましたが、通うごとに楽しめるようになり言葉もとても増えました。

私自身も先生や他のお母さんたちとお話しすることで、不安な気持ちが共有でき、この先も決してお先真っ暗なわけではないと思う事ができてきました。

それでも、やはりY2の気になる行動は多く、ハッキリ診断を受けたいと思っていました。親子教室から東部療育センターを紹介していただき、3歳8カ月の時に「自閉スペクトラム症」と診断されました。その時はあまりショックな気持ちもなく、逆に「やっぱりそうだよね・・」とスッキリした感じでした。「自閉スペクトラム症」といっても個人個人で特性も違いますし、幅が広すぎて漠然とすることもありましたが、診断を受けてからは、他の子と比べて悩んでネット検索・・ということはなくなり、Y2の苦手なことの対処方法を考えようと思えるようになりました。そのような意味でも診断を受けたことはよかったと思っています。

親子教室では第3のうさぎグループからりすグループ、第2のぶどう組、そして第1のひまわり組と全施設にお世話になりながら楽しく生活できました。心配していた母子分離もあっさりと慣れ、トイレトレーニングも、4歳になった夏におしっこの方は成功しました。

その反面、困ったこだわりもたくさん出てきました。

なぜかひまわり組のトイレでだけはおしっこをせず、朝から帰りまで行かないため、体に悪いからと先生から第1の3階のトイレに連れて行ってもらったこともあります。

他にも、数字や時計に興味が出てくると、「何時に何をする」と決めてしまい、その通りに行かないとパニックになったり、エレベーターのボタンを一番に押したがり、できないと初めからやり直しになったり、ウンチだけはオムツに履き換えてするということが続いたり・・・。

その時々は本当に大変で、イライラすることもたくさんありました。でもどれもずっと続くわけではなく成長と共に自分で納得すれば少しずつ緩和されてきたように思います。

そして幼稚園就園の年になりました。家から徒歩1分のところにある園は区内でも大規模な区立幼稚園だったので、集団行動が苦手なY2にとってやっていけるのか不安はありました。

教育委員会の就園相談を受けて、子供2人に先生1人という条件つきで介助の先生をつけていただきました。

1年目は幼稚園週3日、親子教室のひまわり組週2日の併用生活となりました。

幸いY2は、数字大好きカレンダー大好きだったため、「幼稚園の日」「親子教室の日」とカレンダーを見ながら自分で切り替える事ができたので混乱することもなく、どちらも行き渋ることはありませんでした。心配していた幼稚園生活も理解ある先生やクラスのお友達に恵まれたおかげで楽しく過ごせました。もちろん集団行動は苦手なので、みんなと同じことが出来なくて、親の私が撃沈したことはたくさんあります。でもY2の性格や特性を考えて席順や並び順を変えたり、得意なことを活かせるような環境を作ってくださったり、いろいろな配慮をしていただけたことで、あきらめていた運動会のリレーやこども会の劇などもやることができました。

幼稚園で頑張った分、親子教室では安心して遊び、Y2にとってはバランスよく過ごせたのかなと思っています。

毎日の生活の中では、急な予定変更などはパニックの原因になるため、カレンダーを使って事前に予定を伝えておいたり、頑張ることや日々の約束を紙に書いて家の壁に貼っておいたり、頑張ったことがあった時にはノートに「今日は○○を頑張りました。花まる」と書いて本人のやる気を出したりと、いろいろなこだわりとつきあいながら、あっという間に年長の年になりました。

年長の1年は幼稚園週4日、親子教室のいちご組週1日となりました。

いよいよ就学に向けて準備の年です。この1年は私自身の人生で一番迷った年でした。

Y2の現状にあった就学先はどこなのか・・本当に迷いました。「支援級」「通常学級」どちらがあっているのか。親子教室の先生をはじめ、いろいろな方へ相談をしました。それぞれの学校にお子さんが通われているお母さん方にもお話しを聞きました。本を読んだりネットで同じような立場の人の検索もしました。それぞれ意見はバラバラでした。そしてその度にどちらがいいのかわからなくなりました。

Y2の場合は知的な遅れはないものの、落ち着きがない、集団行動が苦手、空気が読めない、人との距離感がつかめない等、やはり定型発達の子の中に入ってしまうと厳しいところも多く、本当にどちらを選択しても中途半端な状態で悩みました。

そしてその結果わかったことは「正解はない」ということでした。1人1人特性も違い、通う学校の環境も違います。こちらを選べば正解という答えは結局出てこないのだと思いました。

最終的に家族とも相談し、就学相談を受けその結果に従うことにしました。

結果は、「通常学級」に在籍し「通級・ひまわり教室」で苦手なところを補っていこうというものでした。

正直なところ通常学級でやっていけるのか、就学先を決めた今現在でも不安でいっぱいです。

Y2には兄弟をつくってあげられなかったので、親亡き後は1人でも生活できるように自立してもらわなければと思っています。そう考えると、親として、将来の可能性を最初から狭めてしまう選択をすることができませんでした。

今できる最善のことをY2と共に一生懸命頑張ってみることにしました。

発達障害については、最近では随分と理解や支援が広まってきてはいますが、まだまだ生きづらい世の中だと思います。きっとこの先のY2の人生の中で、中途半端ゆえに苦しむことが多くあると思います。

それでも自己肯定感をなくすことなく生活していけるよう、常に寄りそえる母親でいたいと思っています。

そうは言ってもいつもガミガミと怒ってばかりなので、反省の毎日です。

あんなに言葉がでなくて悩んでいたのが嘘のように、今ではよく喋り「ママは怒っているより笑った方がかわいいよ」と言われる程になりました。

振り返れば、ゆっくりでも確実に成長してきてくれたY2。私の元に生まれてきてくれたことに感謝し、これからの毎日も大切に過ごしていきたいと思います。

最後になりましたが、いつも優しく温かく受け止めてくださった親子教室の先生方、ここで出逢えたお母さま方には、感謝の気持ちでいっぱいです。

親子教室が私達親子を成長させてくれました。本当にありがとうございました。

まとまりのない文章となってしまいましたが、以上となります。

最後までお聴きくださりありがとうございました。