「私の子育て」Y1くん

皆さんおはようございます。いちご組のY1くんの母です。私の親子教室人生、盛りだくさんなのですが、その中から、私がどう子供たちの障害を受け止めてきたか、についてお話させてください。Y1くんの3つ上の姉の話から始まります。姉のNちゃんは、現在、深川小の普通級に通う3年生の女の子です。Nちゃんには広汎性発達障害という障害があり、1歳10ヶ月から現在まで親子教室でお世話になっています。赤ちゃんの時から、ちょっと変わっているNちゃんでしたが、まさか障害があるとは全く思わず育てていました。1歳半健診の時に、指差しをしない、目を合わさない、クレーン現象などを指摘され、初めて、気づかされました。すぐに親子教室を見学させてもらい、中川先生とお話ししたこと、あの時の絶望するような気持ちを昨日ことのように覚えています。障害があると知る前のNちゃんと、知った後のNちゃん。Nちゃんは何も変わらないのに、あの日を境に、それまでの人生とは違う、別世界に来てしまったような気持ちになりました。怖がりの私は、これからどんな人生になるのだろうと怯えていましたが、それは間違いで、ゆっくりながらも確かに成長を見せてくれる、喜びのある日々の始まりでした。小さい頃のNちゃんは、こだわり行動も不安症状の強く、簡単には言えない大変なこともたくさんありましたが、今ではだいぶ落ち着いて、Nちゃん本人が自分の苦手なこと、自閉的な思考回路に気づきつつあり、どう気持ちを落ち着けたらいいのか、親子で試行錯誤しています。

Nちゃんが親子教室の2年目、ぶどう組の6月に、Y1くんを出産しました。Y1くんを妊娠する前、先輩方から聞いていた「きょうだい」の問題も少し頭を過りました。障害のある子と、そうでないきょうだいが、仲良く二人とも幸せに生きていけるのか。また、第二子にも同じ障害がある可能性も高いことも考えましたが、正直、出産のその日まで、ほとんど心配はしませんでした。考えたって不安になるだけ。考えないようにしていたのかもしれません。何より、「Nちゃんに兄弟を作ってあげたい」というより、単純に、私の人生として、もう一人子供が欲しい、そう思って二人目を授かる決心をしたのでした。つわりは予想範囲内、妊娠経過は順調。6月8日にY1くんは3,394gで生まれてきました。Nちゃんは3,616g。私からは大きな子しか生まれてこないんでしょうか?娘の時もですが、性別を聞かずに出産したので、女の子に次いで男の子を授かることもできて、なんてラッキーなんだ!、私、でかした!と喜びの絶頂でした。しかし、30分もしないうちに、機械がピーピー言い出し、Y1くんは私から離されました。血中酸素飽和度が上がらずY1くんは産院から救急車で墨東病院に運ばれて行きました。

数日後、運ばれた墨東で、Y1くんがダウン症の可能性があることを告げられました。染色体検査の結果が出るまで一ヶ月かかりました。この期間が本当に本当に辛かったです。Y1くんの出産直後、子宮の収縮が悪くて、私は大量出血をし、私まで救急車を呼ばれそうになりました。出血のダメージが大きく、数ヶ月間、体調は最悪でした。崩壊しそうな精神とボロボロの体で毎日やるべきことをこなすだけで、NちゃんのこともY1くんのこともちゃんと考えられていなかったと思います。そんな時も、親子教室で過ごした時間のおかげで、障害のあるNちゃんのことを「不幸だ」とは思っていませんでした。彼女がその障害のために、苦労をしたり生き辛かったら、それは可哀想だけど、「障害がある」そのことが彼女を不幸にしてはいない。彼女が生き辛くないよう、楽しく生きていけるよう、私はできることをやっていけばいい、と思っていました。その気持ちは、Y1くんにも対しても同じでした。障害は「ダウン症」と違った障害だけど、決してこの子も不幸な子ではない、そう思っていました。

では、何が辛かったかというと、私は私が可哀想だったんです。子供たち二人は、可愛い愛されるべき存在だ、不幸ではない、可哀想ではない。でも、障害がある子供をこうして二人授かった私は、あまりに不運で可哀想な人間のようにしか思えませんでした。どうして私だったのでしょう。私は、全く強い人間ではありません。小さなことにくよくよし、すぐネガティブになる人間です。どうしてその私に、二人の障害のある子供と育てるという大役が回ってきたのでしょうか。

もう一つ辛かったのは、親子教室を通して知り合った可愛いダウン症のあるお友達に申し訳なくて。一緒に教室に通って、一緒に遊んで、可愛いあの子たちの幸せを思っていたはずなのに、いざダウン症のある子供が自分に生まれてきたら、全力でその現実から逃げようとしている、、自分が「可愛い」って思ってた気持ちなんて嘘じゃないか、、そう思って、そんな自分が嫌でたまりませんでした。ただひたすら結果を待つだけの一ヶ月、普段はなんでも相談していた友達にも「ダウン症の可能性がある」とは言えませんでした。状況も、ネットで調べたことも、全てY1くんがダウン症であることを示しているのに、でも誰にも言えませんでした。最後の一週間は、もう開き直って「人生にもサヨナラ逆転満塁ホームランってこともあるかもしれない。結果が出るまでそう思ったっていいじゃないか」と自分で自分の真っ黒い気持ちを許して、「どうかダウン症ではありませんように」と祈っていました。そうでないと、心がバラバラになってしまいそうだったのです。そして、やっぱりサヨナラホームランはありませんでした。検査の結果が出た日、中川先生に電話で報告しました。先生は一番に「お母さん、つらいですよね、つらいですよね。泣いていいんですよ」と言ってくださいました。その言葉にどれだけ救われたか。それまで泣いてはいけないと我慢していた心を解いて大泣きさせてもらいました。

こうして、我が家は二人の子供の親子教室生活が始まりました。二人の障害のことを酷く悲しむ日々はしばらく続きました。病院後の疲れた帰り道なんかに、空を見上げて「誰も私の気持ちなんか分かるまい」と涙がこぼれたことも。でも、そんな気持ちが次第に収まってきたのは、やはり、子供たちの可愛らしさと、成長の喜びでした。そこに障害のあるなしは関係がなく、私は少しづつ癒されていきました。

Y1くんは生後3ヶ月の時に、心臓の手術をしたのですが、それ以外は、順調も順調、すくすくにこやかに育ってくれました。もし、上にNちゃんがいなかったら、Y1くんのことを「順調」とは思えなかったかもしれません。世間一般からしたら、ダウン症ってのは大変だ、と思われるかもしれませんが、Nちゃんも育てている私からすると、心が通いやすく、反応を示してくれる子供は初めてだったので、こうも違うものか!と新鮮で、ひたすら可愛く思えました。もちろん、Nちゃんだってものすごく可愛いのです。でも何故か、Y1くんのことは「こんなこともできる」と加点方式で見ることができるのに、Nちゃんのことは「どうして出来ないのだろう、分からないだろう、、」と減点方式で見てしまう自分がいるのです。Nちゃんにはかわいそうなことをしてしまっていると思います。私は言っていい立場にあると思うのですが、生まれてすぐに分かる障害と、後から受け止めるしかない発達障害のような障害は、親の受け止めの気持ちが全然違うよう感じます。どっちが良いとか悪いではなく、それぞれに辛さや難しさがあると痛感しています。

時間に限りあるので、Y1くんの順調な成長はごっそりカットして就学のところまで飛びます。

今年度はY1くんの就学相談もあり、重苦しい一年でした。正確には、一昨年の秋から就学のことが嫌で、何がそこまで嫌なのか自分でも分からないでいました。あれは一昨年の12月の面談の時です。H先生と話しているうちに、「ああ、私は、すごく悲しいんだ」と気づきました。就学相談を通して、「Y1くんには障害がある」ということをまた改めて思い知らされるのが嫌なんだ、「あなたの子供には障害があります」と世界中から宣告されるようなのが嫌なんだ、と気づきました。こんなにも長く親子教室でお世話になり、たくさんのことを勉強してきたのに、結局のところ私はY1くんの障害を、いまだ新鮮に悲しく思ったり、不安に思ったりするんだ、そのことにびっくりしました。なんだか、恥ずかしいような、情けないような気もしました。でも、先生は「お母さんは、きっとY1くんにとって一番の学校を選択できる人ですよ」と言ってくださいました。そうなんです、私はきっと、自分の気持ちではなく、Y1くんにとって最善の選択をできる。ただ、それとは別に、こんな風に悲しくなってしまう自分がいる。支援学校や支援級が嫌なわけじゃない。普通級がいいわけでもない。ただ「普通級にはついていけない」という現実を、悲しく思う自分がいる。それ認めることにしたら、長いこと苦しかった気持ちが少し軽くなりました。悲しがる自分がいてもいいんだ、、そう自分に言い聞かせて就学相談に臨みました。結果、普通級判定が出たのですが、Y1くんの苦手意識や、コミュニケーションの良好さ故に見えにくい知的な遅れのことを考え、Y1くんにとって最善と思われる道をと、校長先生にあの手この手で交渉し、支援級に入学させてもらうことにしました。

Nちゃんに対しても同じような気持ちになります。Nちゃんは、安定している時期もあれば、こだわり行動がでたり、自閉的な思考にはまったり、理屈に合わない不安を繰り返し訴えたり。それをが始まると、私はすぐ「うわー、、、」となってしまいます。私の中に、何度も同じことを言い続けられてイライラするとか、どう対処したらいいんだ!とかもあるのですが、結局のところ、Nちゃんのそのような、かわいそうな姿を見て、悲しくて仕方なくなってしまうのです。すごく悲しくて、逃げたくなるのです。もう慣れろよ!という話なのですが、やっぱりまだ慣れることはできずにいます。

冒頭に、子供の障害をどう受け止めてきたかお話する、と言いましたが、結論、別に、今だって上手く受け止められたわけじゃないんです。診断を受け、障害名をもらって、個々にあった療育や、育て方を懸命にしてきて、ここまでやってきました。でも、だからと言って、悲しみが全くないわけじゃないんです。私は弱い人間です。これからも、また子供の障害と向き合う時、「どうして我が家なんだろう、どうして私なんだろう」と悲しくなる時があると思います。

そんな時、私のことを支えてきてくれたのは、親子教室のお母さんたちでした。保護者会活動や送り迎えの時間でいつの間にかお母さんたちと親しくなり、沢山の励ましと元気をもらいました。先輩のお母さんたちからは、経験者にしか分からない知識と温かいアドバイスをもらい、また、先輩母子の姿から、自分もわが子もそんな風になれるよう進んでいこう、と希望を見出すことができました。同学年のお母さんたちとは、子供のつまづきや悩みごとを共感し、時には「障害あるある」を笑い、子供だけでなく、親も濃密な時間を過ごさせてもらいました。悲しいことより、笑い合うの方が多かったんじゃないか、そう思います。親子教室に通えて本当に良かった、そう思っています。

最後に先生たちに最大の感謝を込めて。

教室で先生方が、この上なく優しく子供たちを見守ってくださること、可愛がってくださることで、なんだか「これでいいんだ、こんな私たちでもいいんだ」と肯定していただいた気がしたんです。自分一人では、困難のある子供たちを、素直に可愛い可愛いと育てることは難しかったと思います。でも、教室は、こんな私たち親子を優しく迎えてくれて、手のかかるNちゃんのこともY1くんのことも可愛いと言ってくださる、いい子だと言ってくださる。これが、親である私への最大の療育でした。「一人ぼっちで悩むお母さんを少なくしよう」と中川先生が作ってくれたこの親子教室のおかげで、今の私たちがあります。これからも、親子教室は、たくさんのお母さんと子供たちの温かい居場所であって欲しい、そう願っています。お別れの挨拶みたいになってますが、Nちゃんがめろん組であと3年はおります。まだまだいます。でも、Y1くんは卒室で一区切り。先生方、お母様方、これまで本当にありがとうございました。