「私の子育て」R2くん

 まず、就学を目前にこれまでを振り返る機会をいただいたことに感謝します。

 性格は穏やかで、真面目、ときどきおちゃらけたりもしますが、緊張や不安から控えめになりがちです。3歳児健診の時に言葉が少ないということが気になって相談したところ親子教室を紹介していただきました。

 はじめにRが生まれる前のお話をさせていただきたいと思います。

兄弟が欲しいと家族みんなで望んでいたところに赤ちゃんがやってきました。兄は嬉しくて健診にもよく付いて来ていましたが、5か月を迎えた事、先生が突然「良かったねー、お兄ちゃん 弟だよ」と兄に衝撃発言をしました。私もそんなこと聞いていないのに~と一瞬先生が恨めしかったです。

 なぜなら、そう妹が欲しかったからです。しかし、先生は兄の複雑そうな表情に「一緒にたくさん遊べるねー。サッカーも一緒に出来るね!」と声を掛けてくれ、そう言われると、あっそうかと固かった表情がほころんでいったのを覚えています。

 赤ちゃんは順調に成長し出産のため9か月の頃に長崎へ、長男と二人で帰省しました。健診のたびに向きが違っていたり、足が長いねともよく言われたので、あー夫に似ているのだと思いました。でもその長い脚は私のお腹を刺激し、胃もたれや胸焼けといった症状が出産まで続いたので苦しかったのを覚えています。ずーっと逆子の状態が続いて心配もしましたが、夜間にお腹がぐるんとねじれるような感覚があり、あっ、元に戻ったと直感しました。

 出産には夫も奇跡的に間に合い、家族みんなが見守る中とても幸せな出産が出来ました。あー、なんてこの子は親孝行な子なんだろうと生まれてきてくれたことに心から感謝し幸福に浸っている時に長男と夫はへその緒をどっちが切るかで戸惑い、たまらず夫がジョキンジョキンとハサミをいれてしまったので、長男は後々この時の出来事を僕が切りたかったのにと後悔したのはいうまでもありません。

 その後もすくすくと成長してくれ、育児が大変だった初めの子育ての時とはまた違った充実感がありました。

 1歳になる前には歩いていましたし、言葉もいくつか発していたので、育児は順調そのものでした。

 先にもお伝えしましたが、穏やかでいつもニコニコしていて、私の目の届くところにいてくれるので安心して子育てしていました。前後しますが息子が10か月の時には「お腹に赤ちゃんがいるからおっぱいバイバイしなきゃいけないんだって・・・できる~?」と聞くと、ちょっと間を開け、うんと頭を縦に振ってくれ、その日の晩を最後に卒乳となり、こちらが拍子抜けと言うかあっけにとられる感じでした。ボールが好きで、早くから上手に投げて遊んだり体を使って遊んだりしていたので体の成長は気になりませんでした。

 穏やかに時が過ぎ、2歳頃でしょうか、なんとなく言葉が増えないなーと感じ始めました。とにかく困るようなことをあまりせずおとなしく、聞きわけも良くてお利口さんといったことになんとも言えない不安を覚えたのもこの時期だったと思います。

 3歳児健診の時にはやはり言葉が増えていない、3語文はちょっと厳しいなと言う様子でしたので、たまらず保健師さんに相談しました。すると、すぐに開室したばかりの第三親子教室(うみべ)を紹介していただきました。私はこの時期に沢山のことを経験させてあげたいと思って、すぐに利用開始しました。

 出来たばかりとあって、通うクラスにはまだ少人数しかおらず、母子一緒だったこともあり、初めての環境にもすぐに慣れてくれました。少人数だったお友達もあっという間に増えていき名前を覚えるのは苦手ですが、教室で会うと楽しそうに過ごしていました。気の合うお友達もでき、刺激をもらったりしました。遊びといっても室内外様々なあそびがありますが、全然気にしていなかった身体機能の方で教室に通うようになってからわかったことがありました。

 それは砂場など手に触れる感覚が鋭く、強い拒否はなくても、何度も何度もズボンで手を拭いていたり、よじ登ったり、つかまったりする力が弱いということでした。また室内活動では歌に合わせて手遊びが出来ずに、ずーっと先生やお友達がする事を見ているだけの日々でした。見慣れてきても、じゃぁやってみようという気にならなかったのは自信がないからだと思いました。このことから、今まで好きな事ばかりやっているのを見て来たんだなーと そして苦手な事でも遊びながら楽しく取り組めばいつかは出来るようになるかもしれないし、出来た時には褒めてあげて、そこから自信へとつながっていくという事が、何よりもこの子には必要だなーと気付きました。

 うみべに通うようになってからは母親同士のつながりも出来、いろんな話を伺ったり、共感したりして励まされることも多かったです。

 翌年はひまわり組に通い、その1か月後からは保育園にも通い出しました。目まぐるしく変化する環境にも本人なりの努力と先生やお友達の力をお借りしてなんとか乗り越える事ができたように思います。

 この年は、長年の悩みだったオムツが取れたので、本当にホッとしました。ことごとくパンツトレーニングは失敗してしまって、私もどうして!何でできないの?トイレでするんでしょなどと息子も責めることも多々ありました。ですが、親子教室でも保育園でも成功すると褒めてくれ、失敗しても怒られない様子から自信に繋がり、成功できたんだと思いました。オムツを取ろうと決めてからは、あの小さかった頃におっぱいをすっぱりやめた時のように、昨日までオムツをしてたなんて言わせないほどすっきりした顔をしていました。それが4歳2か月くらいでした。その後も夜間等にも失敗はなく、今までの私の悩みはなんだったんだろうと、悩んでいる時は真剣に向き合い考え、わずらわしく思う事だってあるのに、それが少しでも良い方向に向かったり解決するとすごく小さくなって気にならなくなるし、結果的に子どもへの期待度が減り、子どもものびのび出来るような気がします。頑張りすぎない育児とか、ほどほどとか手抜きも必要とか言われて、そうだなーと心にしみて、今では手抜きばっかりで反省しています。

 話は少し戻りますが、これまでの育児で、あれはなければよかったなーと今でも思う事があります。それは、初めて受けた発達検査の出来事です。正式な物ではなかったにしても結果は1歳半くらいの遅れがあると言われました。一見ちゃんとして見えるし、手がかからないので相手もしてもらえず、のちに知的面で遅れが目立ってくる。そのうちお友達からも変だのバカだの言われていじめにあうようになる。その結果、引きこもりとなり普通の社会生活が送れない等々とてもストレートでショックなお話でした。それも息子を見ながら話されたのです。例えて話していただいたのだとしても、なんとなく自分のことを話しているのはわかっただろうし、その内容が楽しくなさそうで、嫌だなと思ったに違いないと思います。後日、その建物の前を通りがかった時に「もうここにこない?」と聞いてきました。息子が言いたかったのはもうここには来たくない、だと思いました。私が、もう行きたくないんだよね。ここにお勉強しにくるのは終わりにしようねと伝えると、すぐに「うん」と返事がきました。しばらく、無言でした。切なくて胸がいっぱいになり話せませんでした。嫌な思いをさせてしまってごめんね。と伝えたかったのに話せませんでした。このことがきっかけで、いまはとにかく楽しく過ごしてもらいたいと願うようになりました。

 現在はというと、親子教室も保育園も楽しみに通ってくれており、特に運動は好きで、最近では縄跳びを数回跳べるようになったと瞳を輝かせて訴えてくる姿を目にしました。私もとても喜ぶと、家で見せてあげるからね!と興奮する事がありました。

 そのほかにもマラソンや相撲が好きで、1番を取るからねと言って、本当に頑張って練習したり、随分積極的になったと驚かされます。

 苦手な分野も苦手なりに投げ出さず時間はかかっても真面目に取り組む感じです。学校に通うようになったら勉強はついて行けるかなと不安はありますが、まずは楽しんでもらいたいと思っています。

 楽しむ力が生きる力となってくれればいいなと日々願っています。