「私の子育て」Rくん

Rが生まれたのは、2010年1月13日、2490gで産まれました。

当初の出産予定日は12月31日で、約2週間遅れの出産でした。

妊婦健診では、特に問題もありませんでした。予定日が大晦日ということで、12月は、いつ陣痛が来るのか気分的にも落ち着きませんでしたが、何も起こらず年が明けてしまいました。年明け健診に行ったところ、「まだ下に降りてきてないね。お腹の中が相当いごごちが良いんだね。」と、先生に言われました。

その後も全く陣痛も来ず、ぎりぎりまでお腹の中に居ましたが、最終的に陣痛促進剤を使う事になりました。

入院当日は、朝から促進剤を投与していましたが、全く効かずその日は終わってしまいました。2日目も朝から投与。しばらくすると、お腹の辺りがチクチクしだし、いよいよ陣痛が始まるなと感じました。徐々に痛みが強くなりだし、先生が様子を見に来た時に破水をしました。その時先生が一言「これからもっと痛くなるよ」と。その時点でもう限界なのにと思いました。破水から約4時間での出産でした。

出産後2日目あたりからRの顔色がおかしいなと思いました。結果、(高ビリルビン血症)

新生児にまれに見られる症状で顔の色が黄色っぽくなるとのことでした。

Rの場合は症状が強く出てしまい、入院中は光線治療をしていました。すぐには良くなりませんが、無事退院することが出来ました。

子供が出来た時点で、できるだけ母乳で育てようと決めていましたが、母乳の出が悪く、Rもなかなかおっぱいをくわえてくれない。搾乳してもたいした量も取れなく、少量でも飲ませて、足りない分は粉ミルクをあげていました。毎回このような状態が続き、私の方が疲れてしまったため、粉ミルクのみにしました。

この時期大変だったのが、夜です。ミルクをあげる10分位前に毎回目覚ましをセットしておいて、ミルクを作っていました。母乳だったらどんなに楽かと思いました。

夜泣きも酷かったです。抱っこをして、泣き止み寝付いたなと思い布団に寝かすと、起きてしまい、なかなか寝付いてくれませんでした。寝かすのに大変でした。

一歳を過ぎた頃高熱を出しました。小児科に連絡し受付の時間になるまで家で待機をしていたら、突然痙攣を起こしてしまいました。急いで119番に連絡しました。診察の結果、熱性痙攣でした。

それから数日が経ち、夜中に痙攣を起こしました。又熱性痙攣かと思い熱を測っても、特別高熱が出ていませんでした。痙攣自体は数秒でおさまったので、救急隊員が着いた時は寝ていました。取りあえず病院に行き診察をしてもらいましたが、原因が分からず、そのまま帰宅しました。1ヶ月後位、夜中に又痙攣。前回と同じ状態でした。病院に行っても原因が分からない。そして3度目の無熱性痙攣。そのまま検査入院となりました。Rの体の中で何が起きているのか、不安と心配でいっぱいでした。

検査の結果、「側頭葉てんかん」とのことでした。何でこのような病気になってしまったのか。入院してからは痙攣が頻繁に起きるようになっていました。身体が硬直して全身がブルブル震え、目は一点を見たまま。痙攣が治まると一瞬意識が遠のき、我に返ると泣き叫び。

入院中は脳波の検査や、手には点滴が繋がっていて、いつ痙攣が起きるかわからないのでベッドから離れる事が出来ませんでした。飲み薬も処方してもらいましたが、全身に発疹が出てきたりと、合わなかったりしていました。

完全看護ともあって寝泊り出来ず、夜は寝かせてから帰るのですが、なかなか寝てくれませんでした。病院を出るのが夜10時・11時になっていました。

食事をまだ一人で食べる事が出来ないので、朝は朝食の時間に間に合うように家を出ていました。このような生活を毎日主人と交代でしていました。

この頃私は妊娠をしていましたが、Rの事を1番に考えていました。

ようやくRに合う薬が見つかり、痙攣も起きなくなり、退院の目途もつき退院をしました。

帰宅し暫くすると、思ってもいない痙攣が起きてしまいました。直ぐに病院に戻り、再び入院生活になってしました。やっと家に帰れたのに。

そこから約1ヶ月入院していました。

無事退院後、今度は薬を飲ませるのに格闘していました。嫌がるRを押さえつけてのませていました。

この時期思っていたのが、言葉が数少なく、名前を呼んでも振り向かない。

公園に行っても、あの子あんなに喋るのに、同年代の子と比べることが多くなっていました。

徐々に子供があまり居ない公園に行くようになっていました。1歳半の健診後保健士さんから親子教室の話を聞きました。直ぐに行かせてあげたかったのですが、出産を控えていたので、先送りにしてしまいました。

2012年1月12日深夜、突然破水をしました。眠っていた私は、お漏らしをしてしまったのかと、それにしてはとてつもない量だったので、破水だと気付きました。急いで病院に行き、午前7時弟のTが産まれました。3355gでした。Rよりはるかに大きかったです。

Tの方は、夜泣きも少なく、眠くなると一人でも眠れていました。余り手がかかりませんでした。

Rが3歳になった年に、保健士さんの方から再び連絡が有り、ようやく親子教室に通うことが出来ました。初めての登室日は大泣きをしていたのを覚えています。

お迎えに行ったら、「あの後すぐ泣き止みましたよ。」と聞き、安心しました。

その後も、教室にはすぐに慣れ、いつもとは違う空間に楽しかったのでしょうか。

私が思うには、ここに来ればおもちゃで遊べると。

弟のTも言葉が遅く、2歳になった年にぶどう組に通わせて頂きました。昨年の4月からはRと同じひまわり組に通っています。

教室に通うようになってからは、二人共以前に比べ言葉が出てくるようになり、お友達とも楽しく遊んでいるようなので安心しました。人を思う気持ちも少しは持てたかな。

教室生活で嬉しかった事は、Rのオムツが外れた事です。

まだまだお漏らしをしてしまう事が有りますが、いつかは無くなると思っています。

後はTのオムツ外しとの戦いです。また苦戦しそうです。

最近はTに幼稚園に行く?と聞くと、行かない。教室に行く?と聞くと行くと言います。

Rには、ランドセルしょって学校に行くんだよ。と話をしているせいか、小学生を見かけると「あっ!しょってる」といいます。気になるようです。

残り1ヶ月を切りましたが、楽しく過ごしてもらいたいです。二人共親子教室が大好きです。

親子教室に出会えたことを感謝しています。

 先生方、保護者の方々ありがとうございました。お世話になりました。