「私の子育て」Mちゃん

 ひまわり組Mの母です。

親子教室に通うようになって、現在2年ちょっとになります、

入ってから現在までひまわり組です。

3月で卒室になりますが、大きな病気もせず、すくすく育ってくれました。

まずMがお腹の中にいた頃からお話します。

お腹の中に居た時から、よく動きお腹が痛かったくらいです。

病院の超音波をした時もまったく画面に写らないように、左右と動き、先生も「よく動く子だね~遊んでるのかな?」と少しあきれ顔でした。

 そのエコー写真も笑った顔が写っていました。それから臨月に入るとあまりにも私の体重が増えて行き、先生から「帝王切開しよう」と言われ、予定より2週間早くの出産になりました。3068gでした。泣き声が聞こえ、助産師さんが見せに来てくれ「やっと会えた」と感動して涙が止まりませんでした。

 その日は3組の女の子が産まれたのですが、その中でも1番泣き声が大きく、「Mちゃんは泣き声が大きいから、遠くにいてもすぐわかるわ」と言われてしまい、親に似たのだと笑ってしまいました。

 Mの様子は、0歳までの時は呼ぶと振り向いて笑う子で後追いをしていました。

1歳頃は、児童館に行ってもベビーカーの車輪をずっと見ていてお友達と関わらず1人で遊ぶ子でした。2歳頃は、その頃実家にいたのでよくボールプールで遊んだり、地元の友達の子と同い年なので一緒に遊ばないものの同じ空間にはいました。

 それから幼稚園に通う年になったので、江東区へ引越し、M幼稚園に通うのに手続きをしました。

 その時、保健師さんから電話があり「一度来てください」と言われ伺いました。すると専門の先生が一人いてMの様子と今までを話をしたら、「それで幼稚園に通わせたら可哀そうよ」と言われてしまいました。「幼稚園の方では、1人補助の方がつくから大丈夫よと言われたので・・・」と言ったのですが、「専門の教室があるから見学してきたら」と言われ、COCOと親子教室を見学しました。

 私自身、江東区に来てすぐの事だったので、教室の事を全く知りませんでした。でも保健所の方が親切に教えてくださり少し安心しました。それから親子教室に週1回通うようになりました。

 (最初は、泣いている声が聞こえると私は階段の下で泣いていましたが、今では「あ~泣いてるな」です)

 親子教室の先生方に色々教えてもらい、一度東部の病院へ行き、そこで診断されたのが広汎性発達障害でした。私は頭が真っ白になり、何も考えられなくなりました。まさか

自分の子が・・・!その後の事は良く覚えていません。帰ってから主人、義母、私の両親、姉弟に伝えました。特に私は姉や父親と電話でよく話をします。うちの姉は、何でも前向きな人なので「障害があると言われた」と伝えると、泣きながら「Mは周りの人よりもマイペースなんだよ、Mなりに頑張っているんだから。あなたも大変だけど、前向きに考えよう」と言われ言葉が出ませんでした。

 それから姉は、家事育児の間に「障害」の事を調べて、これがいいとか、この本読んでみたら?と色々調べてくれてとても心強かったです。

 父は姉と電話で話すと「おれよ~、○(私)のことを考えると、心配で先に死ねねーよー」と涙ながらに言っていたそうです。

 とにかくMがよくなればと思い、いろいろ家でもやってみました。絵カード、数字、ひらがななど。最初は興味がありやるのですが、だんだんとふざけてしまい、飽きてしまいます。今でもです。

 それでも言葉が増えてきて、最近の好きな単語はウンチ、オッパイです。あまり人前で言ってほしくないことばですが、私にとっては「すごいじゃーん!言えるようになったね~」と誉めてしまいます。

 2年前までは喃語で「あ~」「う~」しか言えなかった子が、今では少しずつ言葉が出るようになってきたので、姉の言う通りMのペースがあるんだと思いました。あとは、こちらの言っている事がわかるようになってくれればと思います。

 今では、親子の先生方、お母さん方、お友達、家族に支えられたり、悩みを聞いてもらったり、一人で悩まなくていいんだと思うようになりました。

4月からは小学校に通います。また新しい場所での始まりなので、慣れるまで泣いたり怒ったりすると思います。でもそれは通る道なので「行ってらっしゃい」と抱きしめてから送り出したいです。まだまだ壁にぶつかる事がたくさん出てくると思いますが、一人で悩まず先輩ママたちや先生方に相談して親子で成長していこうと思います。